こんにちは、まだ梅雨があけずむしむしした毎日です。
ゆううつな季節ですがこの時期はあじさいが咲くので
それを見るのがひそかな楽しみです。
さて、よく医者の不養生と言いますが
別に不養生していなくても医者も人の子、病気くらいします。
けれど重病になった時、
今後の経過が一般の方より分かってしまう点が辛いところ。
忘れられないある先生の話をひとつ。
そのベテランの内科ドクター(Y先生)は50台の働き盛り。
体の不調を自覚しつつも病院を受診する時間がなく
来院された時は癌が腹膜に転移しており、手術適応はない状態でした。
職業が職業なのでもちろん包み隠さず説明したところ
Y先生はおっしゃりました。
「このままおいていても確実に死ぬことになる。
それならひとつの願いをたくして、転移してる臓器を全部取ってほしい」
しかしそうなると、ほとんどの臓器を切除しないといけない状態、
下手すると術後すぐに死ぬことになるかもしれないと
主治医の先生は必死で説得されましたが、Y先生は断固として拒否されました。
かくしてほとんどの臓器を、外科手術の上切除。
命を長らえるために手術後はドレナージ用やら点滴用やら
あわせて37本ものチューブでつながれました。
術後の高熱と激痛に耐えつつも、
「視力が落ちた気がするから診てほしい」などと
生きる希望を捨てずに気丈に私におっしゃっていました。
・・・そして数日後に容態は急変し帰らぬ人となりました。
ベテランの内科医でしたから、こうなることは予測していたでしょう。
それでも一縷の望みが捨てられずに命がけの手術を希望したY先生。
手術後わずかな期間、まだ会話ができていた時。
「馬鹿な医者と思われるだろうが、
やっぱりなにもせずに死を待つことはできないものだね。
全部取ってしまえば助かるかもしれない・・・
もしかしたら、もしかしたらと・・・」
Y先生の言葉を、ただ黙ってうなずきながら聞くしかない私でした。
勝ち目のない戦いなのだから
痛みをコントロールしておだやかに最期を迎えるほうが
本人にとってはずっと楽だったはず。
けれど実際自分がそういう状態になると
やはり「悪い所は全部取ってしまいたい」が本当の所なのでしょう。
客観的に見るとY先生の最期はあまりにつらく悲惨なものでしたが、
これからの展開がはっきりわかっていただけに
奇跡的なものにすがりたかったY先生の気持ちは痛いほど分かります。
今でも押し寄せてくるものと戦おうとする
ひたむきな力に満ちたY先生の目は忘れられません。
そしてその目を思い出すたびに
自分の無力さと未熟さを切々と感じてしまうのです。
医者が病気になり死を迎えるとき・・・
その時初めて医者として人として知りえる事があるのかもしれません。


